歴史
重箱緑地公園の周辺には、さまざまな歴史が残っています。
これらの歴史を知ったうえで散策してみると、何か面白い発見ができるかもしれません。
公園内の看板には鳥取城布陣図も掲載しております。興味のある方はぜひご覧になってください。
丸山城下 慰霊碑
丸山城下 慰霊碑
丸山城は、天正9年(1581年)に毛利氏の部将・吉川経家が、鳥取城に籠城して織田氏の部将であった羽柴秀吉と対戦した際に築城されたといわれています。
 
兵糧攻めにあった鳥取城への補給のため、但馬出身で水軍を率いた奈佐日本介が置かれました。
中間地点にある雁金山城が織田方の宮部継潤に奪われたため、鳥取城への十分な補給を行うことはできませんでした。
 
兵糧の尽きた経家は、城兵の生命と引き替えに降伏しましたが、秀吉は丸山城にたてこもった奈佐日本介、塩治高清らについては許さず、切腹させました。
 
現在、丸山城下には、これらの人々の慰霊碑が建てられています。
丸山城は、戦国時代の補給路としての川の姿をしのばせる城であるといえます。
溺死海会塔
溺死海会塔
寛政7年(1795年)の洪水の水死者(約650人)の霊をまつるために建立されました。
伊藤惟猷が選び、堀徴が書き起こした碑文が正面以外の三面に刻まれています。
現在は浜坂団地の一隅の高台にあり、改修された千代川を見下ろしています。
浜坂の「犬塚」
浜坂の「犬塚」
かつて鳥取と但馬をつなぐ主要な道筋のひとつが、浜坂を通っていました。
その道には、古い一本橋しかなく、通行に支障がありました。
それを見かねた地元の農民が、橋の掛け替えの資金を募るために犬の首に竹筒を下げて放しました。
 
犬は橋のたもとで通行人に挨拶をし、竹筒にお金を入れてもらいました。
その浄財によって掛け替えられたため、橋の名前は「犬橋」とされ、犬の功績を伝えるために「犬塚」が造られたといわれています。
 
現在では、犬のお産が軽いことから、安産のご利益もあるといわれています。